2023年10月21日、弁護士 若狭勝のニュース塾 YouTubeチャンネルで、
【旧統一教会】解散命令の申立経緯に疑義!公正らしさが欠如 という題で若狭勝弁護士が解説した。
家庭連合の解散命令申し立てには異議まとめ
■異議その1: 宗教法人法で認められている「検察官」による申し立てがない❗
■異議その2: 憲法に定める不利益処分の「適正手続き」がない❗
■異議その3: 「結論ありき」の極めて政治的思惑の疑い
■クリーンハンドの原則からして許されない
■公正さの欠如: 誰が見ても公正でなければいけない
■独裁・全体主義化の危険性
■憲法で保障されている「信教の自由」
■民主主義の標語「全員一致の決議は無効である」
■裁判所は非訟事件手続法による「傍聴」をさせなければならない
以下、詳細
■異議その1: 宗教法人法で認められている「検察官」による申し立てがない❗
解散命令申し立てに至るまでの手続きが適正であるとは言えない。
政府自民党の強い統率下にある文部科学省が解散命令申し立てをしているんですが、 なぜ宗教法人法という法律で認められている検察官に申し立てをさせなかったのか。
オウム真理教の時は、解散命令の申し立ては検察官も一緒になって申し立てをしている。今回、検察官を外しているのは何故なのか❓という点に非常に疑問がある。
■異議その2: 憲法に定める不利益処分の「適正手続き」がない❗
憲法には、何か不利益処分をする場合は、 適正な手続きの下でその処分をしなさいという原則が書かれている。
例として、覚せい剤を所持していたとしても、それを無理やり、強引に、鞄から覚醒剤を取り出しても、本人の同意なく取った場合、起訴して有罪にすることができないケースが結構ある。
それは.
・証拠物である覚醒剤の入手方法が適正な手続きとは言えない
そのために.
・その覚醒剤は証拠として使えないということから起訴もできない
ということがある。
要は、一定の不利益処分をする際には、 そこに適正な手続きが踏まれていなければならないという原則があって、それが法治国家の1つの条件と言われているわけです。
■異議その3: 「結論ありき」の極めて政治的思惑の疑い
本件の一連の流れは、政府が解散の要件があるか否かを純粋に判断したというよりは、極めて政治的な思惑のもとで、 最初から解散命令の申し立てをするという結論ありき的な形で申立てに至っている疑いがかなりある。
まず岸田総理が昨年2022年10月18日の衆議院予算委員会で解散命令に必要な法令違反とは、
・刑法違反を言う
つまり刑法の犯罪を犯してるっていう場合を言うのであって
・民法はその法令には含まない
という認識を岸田総理が自ら示していた。
ところが、舌も乾かない翌日、10月19日の参議院予算委員会では、解散命令請求が認められる。 その法令違反の要件の中では民法違反も含まれる。
つまり、民法の不法行為を重ねていると、法令に違反してっていうことが言えるんだというような見解を示した。
1日で答弁を変更したその時は、野党も朝令暮改にもほどがある批判した。
■一日で宗教法人法の解釈変更は“政治的思惑”
宗教法人法における宗教法人解散命令の要件は、
・法令に違反して、著しく公共の福祉を害するという場合に解散命令ができる
という立て付けになっている。
「著しく」と言えるためには、宗教団体の代表者が犯罪を犯してるということになれば 著しくという言葉がピタっと適合するが、逆に、単なる民法の不法行為が多くなされたからと言って、著しくという言葉に直ちに適用するかというと、少し難しいのではないかという風に思われて、 岸田総理も昨年2022年10月18日の答弁はまさにこうしたスタンスに立っていた。ところが、翌日コロッと変えたと。
刑事と民事っていうのはやはり法律の立て付けが違う。例えばですね、刑事事件で犯罪となれば、それは民事的な不法行為を構成するということにはなるが、逆は真ならずであって、 民事的な不法行為を続けているからといって、それがいわゆる刑事としての犯罪として構成できるかというとそうでもない。
刑事と民事は、やはり法律違反の程度が質的にも量的にも違う。ですから、 刑法という犯罪行為の有無を持って法令違反を捉えるのか、いやいや民法も含んだ形での法令違反を捉えればいいのか。これはかなり本質的な違いがある。それを岸田総理は1日にして考え方を変えた。
しかも、解散命令が認められやすい方法で解釈を変えた訳だから、どう考えても結論先にありという姿勢が十分に伺える。
■政治的思惑である構図
旧統一協会と自民党議員との繋がりっていうのは相当深いものがあった。だから、岸田総理からすると、旧統一協会と自民党が全く切り離された、つまり、自民党は旧統一協会を切り離したという状態にしなければ解散総選挙は戦えないという思惑がある。
たから、縁を切りました、切り離しましたっていう明確化するためには、旧統一協会の解散命令の申し立てをしなければいけなかったというような構図が見て取れる。
で、盛山文科大臣は、その解散命令申し立てした日にですね、あくまで色々と検討して客観的な状況が揃ったので解散命令の申し立てをしたものであって、 決して政治日程を考えて何か判断したということではありませんというようなことを言った。
それはそういう風に言いますよ。 逆に、これは解散総選挙に向けて旧統一協会と自民党を切り離したっていうことを明確にするために今回の申し立てをしましたなんて口が裂けても言えるはずはないわけです。
■クリーンハンドとは❓
もう1つの視点として、 法律の世界ではクリーンハンドっていう考え方があります。自分が不正や問題行動を起こしておきながら、 相手に対して、その相手の不正や問題行動の責任追及はできないという原理原則です。
自民党の政治家は、旧統一協会とはズブズブの人もいるし、相当長きにわたって持ちつ持たれつの関係があった。 win-winの関係にもあった。
■クリーンハンドの原則からして許されない
それが、国民の批判を浴びたために、「選挙に負ける可能性がある」ということで、手のひらを返すように、自民党側が、旧統一協会を「悪の権化」のように言うっていうのは、クリーンハンドの原則からして許されないのではない。
■朝日新聞調査「自民党政治家は関係を断ち切れない」
朝日新聞が、この10月14日、15日に世論調査をして、政治家が 旧統一協会との関係を断ち切れるかどうかを尋ねたところ、断ち切れないという風に思う人が68パーセント、断ち切れるっていう人が24パーセントということで、圧倒的に断ち切れないという感覚を持ってる人が多い。
岸田さんからとすると、やっぱりより一層、旧統一協会を徹底的に切り離さなきゃいけないということになるということは容易に想像がつく。
■行政は公正でなければならない
それならば、なぜ文部科学省が申し立てをしたのか。法律ではですね、所属省である文部科学省ではなくても、 検察官という公益の代表者、あるいは準司法機関である検察官が申し立てをするということが許されている。
ですから、今回も、手続き的に構成を担保するためには、政府から独立した検察官に解散命令の申し立てをさせると。 その前提として、解散命令の要件があるか否かを検察官に判断させればよかったと私は思います。公正か否かっていうのは大事なことでだ。
■誰が見ても公正でなければいけない
やはり行政というのは公正でなければいけない。ただ自分たちが公正だ公正だって言ってるだけではダメだ。つまり、 誰が見ても公正だなっていう公正らしさが備わってなければいけない。
■公正さの欠如
そうなると、今回の政府、自民党、文科省が解散命令の申し立てをした検察官は入れなかったということだとすると、やはり公正らしさに欠けるところがあると思われる。
旧統一協会解散命令の申し立てをするということ自体、あってはいけないということを言ってるわけでは決してなくて、 手続き的にきちんと、誰もが納得できるような公正らしさをきちんと備えてこういう手続きを進めないといけない。
■独裁・全体主義化の危険性
こういう問題は、政府だとか政治が一方的にああだって言って、 いかにもそれを我々が無造作に受け入れてしまうということだと何かあった時は本当に危ない、1つの方向に全部持っていかれちゃうということを危惧している。
■憲法で保障されている「信教の自由」
憲法で保障されている「信教の自由」というのがある。今回、解散命令の申し立てをするにあたって、前日に、宗教審議会に諮ったところ、 委員から解散命令の申し立てにつき全会一致で賛同されたということを盛山大臣が述べていた。
■民主主義の標語「全員一致の決議は無効である」
民主主義、多数決制度の下で何かを決める際に、
「全員一致の決議は無効である」と 1つの標語がある。すごいいい標語だ。
こんだけ価値観が色々あれば、誰かしらは反対する人がいるというのがある方が普通であり、そして多数決で決めると、それが本来良好なあるべき多数決である。
やはり全員一致っていうのは、やはり忖度をしたりとか流されてしまう。今回の宗教審議会も前日ですから。 前日にどうですかって言われて、いや、これはダメだと、文科省がもう明日にも要するに申し立てをしようとしてる時に「ダメです」と言えないというのは十分にあり得ると思います。
■裁判所は非訟事件手続法による「傍聴」をさせなければならない
最後に、今回は非公開で裁判が進められるということになる。
それは非訟事件手続き法というものによるが、ただ、今回の事件の重要性に鑑みれば、 その非訟事件手続法にも書いてあるが、
裁判所は相当と認めるものの傍聴を許すことができるという例外がある。
限定された人でもいいが、傍聴させるというぐらいのことを裁判所はしなければいけない。 裁判官だけで判断して、はい、いきなりこれは解散命令あるいは解散命令認めませんというのが突然出てくるということだと、あまりにもお粗末、お寒い、おぼつかないという風に思う。 だから、その辺のところは今後問題意識を我々みんなが持っていく必要があるのではないかという風に思う。
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