はてなブログ-「勝訴」判決まとめ家庭連合信者拉致監禁裁判 #信教の自由と人権を訴えよう #ReligiousFreedom

🇯🇵'68 国際勝共連合 '15 後藤徹氏 最高裁勝訴(拉致監禁12年5ヶ月) '22鈴木エイト名誉毀損裁判 全国弁連提訴⇔ '52日本共産党 破壊活動防止法適用 公安監視団体 '87共産党系弁護士 全国弁連設立 '94レフチェンコ事件裁判社会党敗訴 '21岸田文雄自民党総裁 関係断絶発言 '22解散命令請求 共産党と左翼による犠牲死者推定1万人

【公開】日本共産党委員長 刑事犯罪史 -「リンチ致死実行犯」が率いた犯罪集団

【公開】日本共産党委員長 刑事犯罪史 - 「リンチ致死実行犯」が率いた犯罪集団

日本共産党 宮本顕治書記長 朝鮮労働党 両代表団が友好的に会談(赤旗、1968年8月27日付)たびたび北朝鮮を訪問し、金日成氏と会談。共産党北朝鮮による朝鮮半島武力統一を支持、韓国滅亡論者だ。

日本共産党中央委員長

佐野学 1927年 - 1929年 

1926年3月、第一次共産党事件で禁錮10ヶ月の判決を受け、同年末まで下獄

1932年、東京地裁治安維持法違反により無期懲役の判決を受け、市ヶ谷刑務所に収監

1934年5月、東京控訴院判決(懲役15年)が確定。他の転向者と同様に早期に出獄が予想されたが、1943年10月まで収監は続いた。

田中清玄 1929年 - 1930年 

1930年7月14日、治安維持法違反で逮捕

1941年4月29日、10年1か月の刑期を終え出所

山本正美 1933年1月 - 1933年5月 在職期間わずか4ヶ月

1933年春に検挙、投獄。

野呂栄太郎 1933年5月 - 1933年11月 在職期間わずか半年

1926年(大正15年)学連事件に連座し、10か月の禁固が言い渡され収監

1929年(昭和4年)4月16日の四・一六事件で、1月程拘束

日本共産党中央委員 (1933-1935)

宮本顕治 1933年11月 - 1933年12月26日

スパイ査問事件

1933年(昭和8年)12月26日、逮捕。ほかの人間への取調べから警察が突き止めたアジトが捜索され、床下より小畑達夫の死体が発見。宮本らに「査問」の最中に暴行を受けた末に外傷性ショックで死亡したと、裁判で認定。

1944年(昭和19年)12月5日に、東京地方裁判所治安維持法違反、不法監禁、傷害致死死体遺棄などにより無期懲役の有罪判決を下した。

袴田里見 1933年12月 - 1935年3月4日

1928年(昭和3年治安維持法違反で検挙され、7年まで堺刑務所で服役。1935年逮捕、1945年(昭和20年)釈放

日本共産党書記長 (1945-1970)

徳田球一 1945年12月 - 1953年10月14日 46年に衆院選当選。

1923年(大正12年)に逮捕。

1927年(昭和2年)に豊多摩刑務所で受刑。

1928年(昭和3年)2月26日に治安維持法違反で逮捕。懲役10年の刑を受け、1945年(昭和20年)10月10日、徳田は18年に亘る獄中生活を終え出獄。

野坂参三 1955年7月 - 1958年8月1日 役職名は「第一書記」

1923年(大正12年)三・一五事件で検挙。昭和5年3月、「目の病気」を理由に釈放。

日本共産党議長(1958年 - 1982年)

1955年(昭和30年)8月11日には団体等規正令違反で逮捕、同月16日に釈放されるも9月7日に在宅起訴。

宮本顕治 1958年8月1日 - 1970年7月7日 日本共産党書記長として歴代最長。

日本共産党委員長 (1970-)

宮本顕治 第11回党大会 1970年7月7日

1982年7月31日 日本共産党議長(1982年 - 1997年)

村上弘 第18回党大会 1987年11月29日

1948年に阪神教育事件で首謀者とされ、占領政策違反で大阪刑務所に服役、1年8ヶ月投獄。

志位和夫 第22回党大会 2000年11月24日

伯父 志位正二 1954年2月5日、ユーリー・ラストヴォロフアメリカ亡命後、警視庁公安部に自身がソ連工作員(スパイ)であったと自首

 

維新・馬場代表「共産党は日本からなくなった方がいい政党」

共産党破壊活動防止法に基づく調査対象団体」

「政府が危険な政党と見ている」

youtu.be

警察としては、引き続き日本共産党の動向に重大な関心を払っている。

暴力革命の方針を堅持する日本共産党(警察庁)

共産党破防法に基づく調査対象団体であるとする公安調査庁見解

https://www.moj.go.jp/psia/habouhou-kenkai.html

国際勝共連合とこの共産党は、「日共リンチ殺人事件」は裁判で争われた。しかし宮本顕治委員長は「証人」としての出頭を拒み続け、88年12月、共産党は自ら起こした仮処分申請自体を取り下げ、10年裁判は終結

“結論として、公安監視団体 日本共産党は、「リンチ致死実行犯」が率いた犯罪集団だ。”

www.ifvoc.org

日本共産党の犠牲者は1万人?

日本共産党と左翼により犠牲になった死者の数を約1万人と推定”

日本共産党の武装闘争時代 - JAPAN Guardians(ジャパン・ガーディアンズ)オフィシャルサイト